馬鹿は話をするだけ無駄。


言葉のままだ。

理解力が無い。
馬鹿とは学力だとかそういうことじゃない。
ぼくの自論では人間学力が全てではないと思っている。
勿論勉強だってできたらいいに越した事は無い。
けれどぼくが言っているのはそういうことじゃない。

その人の育った環境やその人自身の問題だと思う。

言ってしまえば
誰しも辛いことや悲しいことがあってそれを自分の中でどう受け止め、これからどう考えるのかということが問題だと思っているということ。

ぼくは前回の中で相手の立場の話をした。
まさにこれなのだ。
それが考えられない。
これはもう話をするだけ無駄なのだ。
まぁこれに限ったことではないけれど。

だから関わりたくないと思う。

人間誰しも感情というものがある。
辛い。悲しい。嬉しい。愛しい。寂しい。
怖い。
こういうもの全てだ。

相手の立場になって考えられないということは人間としてまだしっかり育っていないという事だと思う。

そういった感情があるから人は傷つけ傷つけられて生きていく。
そうして学び、成長していく。
相手を思いやれないのは相手がそこまで大事では無いからだ。
そして子供のように相手に接して欲しいと言っているのと変わらないということ。

ぼくがここで言っている子供のように、とは嫌なことがあれば泣けばいい。
と思っている子供のことだ。
その子供の真意は相手が自分の意のままに動かないと納得行かないという事だと思う。

ぼくは特別自分が賢いと思っているわけじゃない。
何も自分が偉い立場になどなっているつもりは無い。
ぼくはそこまで賢い方では無かったし人と同じことをするのは得意では無い。
なにも偉くなどない。

小学校も中学校も高校も人には嫌われてきた方だ。
だからだろうか、 散々悩んで泣いて生きてきた分いつまで経っても死にたいし彼氏が居たとしてもひとりに感じる時だってある。

けれど相手のことはよく考えられるようになったつもりだ。

ありがとうやごめんなさいはちゃんと言わないと伝わらないことも分かった。
話をしなければ伝わらないことが沢山あるということも学んだし
以前よりはずっと人に心を開くようになった。

ぼくを構成しているのはきっと良いとは言えない家庭環境や友達が居てくれて初めてこうなっているのだろう。
色々な人と沢山の話をして自分と戦い続けてそうして今ここにいるのだと思う。

その中で相手の立場に立った時に大事なことは言葉の伝え方だと思った。
出来る限り相手に不快な気持ちを与えない伝え方を考えなければいけない。

ぼくの彼氏はとても優しくて繊細な人だ。
ぼくが初めて話した時、なんて優しい言葉の使い方をする人なのだろうと感動した。

それからも彼と真面目な話をする度彼はぼくに、上手く伝えるのが難しい。とよく言う。

いっぱいぼくのことを考えてくれているのはその言葉だけでよく分かった。
実際彼の伝え方はとても優しかった。
ぼくはその度に彼と出会えて良かったと思っている。
こんなに何も無いぼくを見つけて愛してくれているのだから。

ぼくはいつも彼のようになりたいと思っている。
何事に対してもそんなに頭ごなしに怒ることはなく、やりたいことをやればいいと言って笑ってぼくを肯定してくれている。

ぼくは彼が居なければ今日の日まで息をしていることは無かったと思う。

彼のおかげだ。

ぼくがこうして今の性格になっているのも全て。

ぼくは大事なものや大事な人程壊してしまうから本当に気をつけたいところだ。
不器用なのかもしれない。

伝え方は与え方とよく似ている。
=かも知れない。
優しくなりたい。

分からない人間と話をしても仕方ない。
分からないのだから。
相手の立場に立てないならもう仕方ない。

ぼくは相手の立場に立てる人としか仲良くできないということだし、ぼくは嫌われても仕方が無いということだ。

これはぼくの押し付けだからぼくも相手の立場に立てていないのだと思う。

ごめんね。


すばるとターボな日。

日々の事つらつらと呟いたり、 文鳥・すばる〈4ヶ月〉と セキセイインコ・ターボ〈2ヶ月〉の生長を見守ったり。

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