言ってしまえばそれはきっと。

家族に近い。
ぼくの大切な人達。友達。
一度でも関わればもう友達だし仲良くしていたい。
みんなと仲良くしたい。

とても大切な存在。
だからこそ幸せになって欲しいし幸せで居て欲しい。
何かを得るためになにかの犠牲がいるとよく聞く。

それが分かっていたとしても少しでもその犠牲や人の悲しみは少ない方がいいに越した事は無い。
その方が少しでも心が軽く笑えるのではないだろうか。

人間いいことも悪いことも沢山知っている生き物だ。
けれどいいことがちゃんと分かっているのならいいことをちゃんと選べる人間でありたい。

人間は完璧じゃない。
だから間違えることだってある。
けれどそこから学ぶことは沢山あって、
だから知らないで選択するよりももっといい選択ができるはずだ。
経験をしたからこそ、というやつだ。

そうして選んだ選択はいいことも悪いこともきっと無駄じゃない。

ぼくのバイト先の上司が少し前にこんなことを言っていた。
誰かがやって悪いと分かっていたことは自分もやる必要は無い。
だれもがやっていいと思ったものを取っていけばいい。
何故それがみんな最初から選べないのか理解できないよな。と笑っていた。

けれど人間は機械じゃない。
経験してみないと分からないことだって沢山ある。
その上司は相手の立場に立てない人間だ。
これがまさに
相手の立場に立てる人間と立てない人間の差なんだなと感じた。

あなたは失敗したことは無いの?と問いたかったくらいだ。
誰しも最初からそれができたなら苦労しない。
人間としての成長も止まることは確実だった。

色々なことを経験して行くから人生アジのある物になっていくというもの。
それが言う所の個性というものにもなるだろう。

経験して学ぶ事というのはやっぱり聞いて学ぶのとは違うからとても身に付く。

例えば子供が色画用紙を切っていて途中刃先で指を切ったとしよう。
子供は刃が危ないものだと知り、気をつけなければならないと思う。
痛い思いをしたくないからだ。
そうやって経験して学んでいくのと一緒だ。

嫌なことや辛いことというのは何故かとてもついて回ったりする。
けれどだからこそ繰り返したくないと言う気持ちは働く。

その経験はとても大事なものだと思う。
内容はともあれそれがその人を構成する一部ならそれは何よりの宝だろう。

その経験があったからこそ、今のその人が居るのだから。

ぼくにだってそれは同じことが言える。
だからぼくは嫌だったことも辛かったことも全て忘れようとは思っていない。
ぼくの彼氏だって一度だってそれを忘れろなんて言わない。
勿論ぼくだってそんなことは一度も言ったことは無い。

分かっているからだった。
それはその人に必要な経験だったということだ。
だからその出来事がその人にとって必要な一部だったのなら
言い方は悪いけれどそうなってくれてよかったのだ。
じゃなければ愛しいあの人はこうじゃなかっただろうし自分とこうして付き合うことだって無かったのかもしれないのだから。

もしひとりならこれからそう思える人と出会い、相手がそう思うことだって自分が相手にそう思うことだってあるかもしれない。

そう思うと余計に自分と出会ってくれてよかったと本当に思える。

ぼくはその上司とは違う考え方をしている。
経験は宝だ。
知識や人間性が宝だと思うのと一緒だ。

経験は何より確実じゃないか。

ぼくはまだまだ未熟で何も知らない糞ガキだと思う。
だからこれからも生きているうちは色んなことを見て感じて学んで行きたいと思う。

経験や知識や人間性が宝なのは色んな考え方ができるからだ。
人生なんて選択の連続だ。
じゃあその選択肢をちゃんと見極める目が必要になるだろう。
その為には経験や知識や考え方が物を言ってきて
選択肢を広げることになり、選んでいくのだろう。

ぼくはまだ何一つとして足りているものは無い。

だからこそ
冒頭で言ったようにいいことをちゃんと選べる人間になりたい。



すばるとターボな日。

日々の事つらつらと呟いたり、 文鳥・すばる〈4ヶ月〉と セキセイインコ・ターボ〈2ヶ月〉の生長を見守ったり。

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